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「どんな本を読めばいいか」には答えがない

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「どんな本を読んだらいいんだろう」

「読書をしよう」と決意すると、最初に出てくる疑問ですよね。

読むぞという気にはなったけれど、書店に行っても膨大な量があって、選べません。

毎日毎日、大量の新刊が出る世の中ですから、しかたないですよねえ。

実は日常的に読書をしている人でも、「本当は何を読むのがいいんだろう」と考えています。

もしかしたら、「本の選び方にも正解があるのではないか」という心理が働くからです。

この問題について、加藤周一さんの『読書術 (岩波現代文庫)』に、おもしろい話がたくさん載っていたので、ご紹介しますね。

「何を読むか」には一般論が成り立たない

どういう本を読んだらよかろうか、ということは、一般的には決められません。どういう女を口説いたらよかろうか、という、だれにも通用する標準などあるはずがないのと同じことです。口説く相手は、時と場合、その人によって違うでしょう。

なにを読んだらよいかは、一般論として成りたたない。どう読んだらよいかは、一般論としても成りたちます。すなわち、「読書術」です。

すっきりしますね!

これは読む「べき」みたいな、押しつけてくる人がいても無視しましょう(笑)

あなたには関係がありません。

「何を読めばいいのか」と考えてしまうと苦痛ですが、慣れてくると「次は何を読もうかなあ」とワクワクできるものです。

本選びは、とても楽しいですよ。

一方で僕は、「課題図書」がとても苦手です。

読むものが決められているなんて、なんだか気乗りがしません。

これを読もうと選ぶという、楽しみの一部が奪われてしまうからです。

あ、たまにならスパイスになっていいです。毎月毎月それをやるのは無理だわぁという話。

『読書術』では上記で引用した理由から、どう読むかに焦点を当てた本です。

が、そのなかにも「何を読むか」のヒントはたくさん書かれていました。

それぞれの場合に応じて古典を遅く読む

・たとえば日本を理解するために、論語と仏教の経典、日本の古典文学のいくつか、また西洋を理解するために聖書とプラトンを、できるだけおそく読むことが、おそらく「急がば回れ」の理にかない、「読書百遍」の祖先の知恵を今日に生かす道にも通じるだろうと思われます。

論語、仏教の経典、聖書、プラトンを遅く読む。

まあ、たしかに教養はとてもつきそうですね。

でも、ややヘビー(笑)

と思って読んでいたら、こんな話が続きます。

・しかし、そもそも日本を理解し、世界を理解する必要があるのでしょうか。
・この世の中に生きていれば、私たちのひとりひとりが考え悩むこともあり、どうしても解きたいと思う問題もあります。

ああ、よかったですね。

古典の全集みたいなのを読破しなければ読書ではない!みたいな話ではありませんでした。

・それぞれの場合に応じて古典を読めば、それが道をひらくきっかけになるかもしれません。そういう期待をもって本を読む、これが古典の読み方のほんとうの筋かもしれません。なぜなら、およそ本を読むときには、だれでもその本のなかに自分を読むものだからです。

僕たちが古典を読んで5ページくらいで力尽きるのは、ここに問題があるんですね。

つまり、必要だとまったく思っていないのに「読んだ方がよさそう」という理由で読んでいる。

そりゃあつまらないですよね。

ということは、おおよそどんなことが書いてある本なのかを知ったうえで読む必要があります。

たとえば『プラトン入門』のような本を読んでから、『国家』とか『饗宴』に行くのがよさそうです。

少しだけ見えてきましたね。

また、古典は「遅く読む」というのが加藤さんのポイント。

遅く読むためには、他の本を読むのをやめればいいですね。

書評は意味があるけど、抜き書きは意味がない

読書をはじめると、だれもがある問題に行き着きます。

それは、「読みたい本が多すぎて、一生かかっても読みきれない」というものです。

本書でも、その話が出てきます。

・はやく読もうと、おそく読もうと、どうせ小さな図書館の千分の一を読むことさえ容易ではない。したがって、「本を読まない法」は「本を読む法」よりは、はるかに大切かもしれません。
・晩年の荷風はみずから鴎外以外はいっさい読まないといっています。

読む本を決めるということは、読まない本を決めるのと同じことなんですねえ。

乱読も大事だけれど、時間がない人ほど難しい。

であれば、読むべき本を多少はしぼろうよという話ですね。

でも色々読みたいよね!というのが次。

・しかし、もちろん、もっと広く知りたいという場合もあり、また特定の目的のために必要とする本は数多く、それをどうしても読みきれないという場合もあります。
・そこでみずから読まない本について知るために利用できるものは、まず第一に書評です。第二に、いわゆるダイジェストまたはアブストラクトー抄録の類でしょう。

書評、今の時代ならググると結構ありますよね。

僕は直接読みたいのであまりやらないのですが、「◯◯(書名) 書評」でググるのも、時間がない人には有効です。

ただ、上の引用でひとつ重要なポイントがあります。

それは、書評と抄録(ダイジェスト)が区別されていることです。

書評というのが文字通り本について評論している文章だとすると、単に内容を要約したのが抄録です。

抄録について、著者はこのように書いています。

・絶えず抄録ばかりを読んでいると、物事をはじめから終わりまで考える習慣がなくなるかもしれません。
・与えられた全体から自分で要領をとり出すという、おそらく人間の知的な能力のなかで、もっとも大切な能力がにぶくなってくる可能性さえあります。

わかる気がします。

そして、ぞっとします。

だって、普段僕たちが見ているネットの記事って、こればっかりじゃないですか。

意識しないと、考える力を上げたいのに、逆にどんどん下がるかもしれない(笑)

皆さんも、書評は読んでもハイライトのような文章には頼り過ぎないように気をつけましょう。

わからない本は読まない

最後は、「難しい本を読めばいいのか」問題について。

自分のわからない本はいっさい読まないということ、そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよくわかることができます。

僕はこれを読んで、「でもそれ繰り返してたら、知識が広がらなくない?」と思いました。

ネットのニュースが最適化を繰り返すうちに、いつのまにか「不倫」ばっかりになるのと似ています。

しかし、本書で書かれているのは、そういう意味ではなかったのです。

小林秀雄さんの作品を例に、とてもわかりやすく説明されています。

・見たことのない絵に関する本を読むのは、その本がむずかしいか、むずかしくないかというより、原則としては不可能なことでしょう。同じように、聞いたことのない音楽について本を読んでみても、純粋に技術的な意味以外にはたいして意味がないでしょう。

・小林さんが『モオツァルト』を書いたときに、多くの作曲家たちは、はじめて読んだ小林さんの文章をちっともむずかしいとは思わなかったようです。しかし、小林さんの文芸評論に慣れていた文学青年たちは、ほとんどひとり残らず、あの文章をむずかしいと思ったことでしょう。

つまり、誰が読んでも意味のわからない本は悪文なだけだし、自分にとってわからない本は読む必要がない本だということです。

だから、わからない本は読まなくていいよ、と。

納得。

たとえば、5年前の僕にはマルクスはわからない本だったけれど、今は違います。

それは、かつての僕は(株はやっていたものの)労働者であり消費者側だったからです。

今は、資本主義の全体像について考え始めたので、マルクスは「わからない」ではなくなった。

皆さんも、とりあえずわからなかったら読むのをやめましょう。

それおもしろいね

上の小林秀雄さんの例は、極端というかかなり文化レベルの高い話です。

でも、こういうことって、普段僕たちにも起こっているのではないでしょうか。

例えば堀江貴文さんの本を読んで、字面を追って「わかった」と思っているけれど、経験の前提が違いすぎて実はほとんどわかっていない、とか。

考えすぎですかね?

今回は、「『どんな本を読めばいいか』には答えがない」について書きました。

答えはないんだけど、論点はたくさんあるし、それは自分で探していくしかないなあということがわかりました。




■わたくし、学びのヒミツ結社の代表をしております
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自己紹介

いしざわ(空論家)

いしざわ(空論家)

職業:空論家、トレーダー。
スキル:事業企画、株式トレード、ファシリテーション、アイデア創出
関心範囲:ライフログ、学び、資産形成
解決したい社会問題:普通の30代以上がどんどん苦しくなる件。ザコでも無職でも楽しく生きられることを、自身の経験をもとに伝えたい。
・上記を実践しようとして、トレカ屋さんでアルバイトに応募しているが、なかなか受からない。 [詳細]